賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2017/11/22

校歌のメロディに込められた思い

 11月21日は賢明女子学院の創立記念日で、前日の今日、創立記念のミサが行われます。そこで、今朝の話は創立のころに作られた賢明の「校歌」(最初は学院歌といっていたようですね)について話をしたいと思います。
 賢明の校歌はとてもいい歌ですね。私も大好きです。歌詞はシスター・ジャネット・フェクトが英語で書かれ、それをもとに初代校長畑逸治先生が日本語で歌詞を付けられました。作曲はアルベール・ラリュー(Albert Larrieu)という方です。でも、この曲は、実は賢明の校歌のために作られたオリジナル曲ではないのです。そのことは以前志水教頭先生から伺ったことがありました。一般に校歌はオリジナルな曲を採用するのが普通でしょう。ですから、私はシスター・フェクトが、新しい曲ではなく元からあった曲をあえて校歌に採用した背景には、この曲に対するかなり強い思い入れがあったのではないかと考えました。そこで、今回、そのあたりの経緯についてシスター山本なら何かご存じではないかと思って尋ねてみました。そうすると早速調べてくださいました。
大変面白いことが分かりました。この曲は、もとはイエズス会という男子修道会の修道士が作った“MONTEZ TOUJOURS”(絶えず登れ)という詞につけられた曲だったのです。イエズス会士はネイティブアメリカンに布教するためにカナダにやってきてキリスト教を布教するのですが、大変苦労したようです。命を落とす修道士たちもいました。でもひるまず神の教えを広めるために布教を続けました。神の教えが広まるまで折れずにがんばろうという決意を託して、山の頂にいたるまで「絶えず登れ」、「登り続けよう」、と歌ったのでしょう。フランスの国歌“ラ・マルセイエーズ”を連想するようななかなか勇ましい歌詞です。
キリスト教世界ではない異国の地で賢明女子学院を創り、女子教育を始めたシスター方も同じような大変な決意があったということを聞いています。賢明の校歌を作るにあたってシスター・フェクトの頭に思い浮かんだのが、決死の覚悟でカナダで布教をおこなったイエズス会修道士による“MONTEZ TOUJOURS”のメロディだったことは故なきことではなかったと思います。
さて、ここからは校歌のメロディについて、私の想像を交えた恣意的な解釈になります。私は初めて賢明の校歌を聞いたとき、とてもいい曲ですが最後の「賢明の道!(Kenmei Light Our Way!)」と歌う部分のメロディにほんの少しですが違和感を覚えたことがあります。何となく収まりが悪いような気がしたのです。どこが収まり悪いかというと、メロディは、ラソ、ドレ、ミミーで、修飾音的なラ、ド、ミを取ると、ソ、レ、ミーと上昇していきます。上昇音ですから力強い感じが出ますが、最後の音が「ミ」で終わっているのが私の耳にはむずがゆく聞こえたのです。どういうことかというと、この曲のコードはC、ハ長調なので、普通は曲の終わりは根音(基音)で終わりますから、ドで終わると収まりよく聞こえます。だから、ソ、レ、ミミー、ではなく、ソ、レ、ミドー、のようにドで終わらせるのが普通でしょう。でもこの曲はそうはなっていない。ドで終わっていないのです。ドミソの3和音の一つを使っているし、ドの音もハモって歌いますから、すごく変というわけではありませんが、でも少し収まりが悪い。あなた方が歌っている声を聞いても音が高いということもありますが、慎重に音を取って小さめに声を出しているように思います。だからピアノ伴奏は歌が終わった後、ラソミドと弾いてドに戻しているでしょう。
でも今回、校歌にまつわるエピソードを知って、この曲は普通にドで解決させたのでは歌詞に込められた思いを伝えきれないということに思い至りました。シスター・フェクトも無意識かもしれませんが、ドではなくミで終わる3段階の上昇音メロディが印象的だったのでこの曲を選んだのではないかと思っています。
つまり、この曲は収まり良く終わらせてはいけないのです。収まり良く終われば、「賢明の道」は卒業した時点で終わりです。そうではないのです。「賢明の道」は卒業で終わるのではなく、卒業後も続く道なのです。賢明の光はあなた方の行くべき道を照らし続ける、そしてあなた方も世の中を照らし続ける人間であってほしい、私は校歌の最後のミの音にはそのような思いが込められているように思いました。
賢明の校歌は、歌詞だけでなくメロディにもメッセージが込められたとてもいい曲だと思います。これからも大事に歌い続けてください。
11月20日

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