賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2018/01/10

17年度3学期始業式

クリスマスとお正月という大きな楽しみのある冬休みが終わりました。ゆっくり休めたでしょうか。美味しいものをたくさん食べて体重が気になった生徒もいるかもしれませんね。

ところで、昨年終業式の後で行われたクリスマス行事は、1年前のクリスマス行事もそうでしたが、とてもよかったです。タブローの出来もしっかりしていたし、それを支える聖歌隊、楽器演奏、高3と中3の合唱も素晴らしかったです。劇の背景のデジタル映像もとてもよかったと思います。裏方役の生徒も含めて皆が一つになっていた様子が感じ取れました。そしてそれらの中でも特に印象に残ったのは、タブローの配役の生徒の表情と声役の生徒の語りでした。見ての通り、タブローはいわば人間紙芝居です。紙芝居だから登場人物は数分間静止していなければならない。どのような表情でもその表情のままでじっとし続けることはとても大変だと思いますが、配役の生徒は驚いた表情なら驚いた表情、喜んだ顔なら喜んでいる顔の表情を変えることなく数分間演じ続けました。また、ナレーションと声役の生徒の声は登場人物に合った声質で、しかもとても情感がこもっていてとてもよかったです。繰り返し行われた練習は大変だったと思いますが、生徒の皆さんだけでなく保護者や一般の方々も喜んでいただけたのではないかと思います。今年も楽しみにしています。

本論に入る前にもう一つ紹介しておくことがあります。先週の土曜日にローマから聖母奉献修道会の総長が来られました。総長ですから、世界各地で活動している聖母奉献修道会のトップの方です。日本の各地で活動しているシスター方と関連施設を訪問するのが目的で来日され、そこで学校現場である賢明女子学院にも来られたというわけです。職員会議の時間を使って先生方にマリー・リヴィエの教育についてお話をしてくださいました。色々話してくださいましたが、マリー・リヴィエはイエス・キリストの生き方に倣う生き方を自身の生き方の根本に据えられた方であったという話をしてくださり、賢明の教育理念を再確認することができました。その後十数名の教職員の方々と一緒に昼食を摂りましたが、そのときのエピソードは同席した先生があなた方に話をしたくてうずうずしているようですから、ここでは話さないことにします。後日、機会を見て私からも話をするつもりです。

さて3学期が始まりました。年度でいえばまだ2017年度ですが、年でいえば2018年、新年を迎えたわけです。年の初めは大きな節目ですから、年始にあたって今年の抱負や目標を立てることは大事なことです。ぜひ今年1年の目標を立てて実行していってください。

昨日の昼、たまたまテレビをつけると、NHKのBS1で日本の指揮者近衛秀麿を扱った番組を放送していたことに気がつき、途中からですが観ることができました。近衛秀麿は近衛文麿首相の義弟で、クラシックの本場ドイツなどでも実力を認められた指揮者で、草創期の日本のオーケストラを育てた人物です。あまり知られていないことですが、近衛秀麿はドイツでナチスが政権を握ってユダヤ人排斥をおこなった時に、ユダヤ人の出国を助けるために持ち出しが禁止されていたユダヤ人の財産を外国に移送する手伝いをして10家族以上のユダヤ人家族の出国を助けたり、密かに知り合いのユダヤ人をかくまったりした気骨のある人物で、そのあたりのことを詳しくたどった前・後編の2時間番組で、とてもよい内容でした。

ユダヤ人はその特異な歴史からヨーロッパで長く虐げられてきましたが、そのユダヤ人を命がけで守ろうとした人間もいるのです。ドイツ占領下のフランスでの話ですが、ナチスはIBMのパンチカード機を使ってカードに開けた穴の位置で国民の住所や銀行口座、血統など膨大な情報を一元管理し、ユダヤ人を探し出すのに使っていました。その邪魔をしたのが、ルネ・カルミーユというレジスタンスの工作員で、カード機に細工を施し、ユダヤ人かどうかを示す「第11列」の穴が開かないようにしたそうです。世界で最初のハッカーだったと言われたりします。カルミーユは最後は工作が発覚し、強制収容所で命を落としましたが、このように命がけで無数のユダヤ人を救った人物がいました(読売新聞2015/10/30)。ほかにも、自らの工場で働くユダヤ人を救ったことで知られる映画化もされたドイツ人実業家オスカー・シンドラーや、第二次世界大戦中のリトアニアで、ナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人に対して、日本政府の命令に背いて日本通過ビザを発給し、約6千人もの命を救ったとされる外交官杉原千畝さんも有名ですね。

最近、日本では障害者施設を襲って多くの人を殺した事件や子どもを折檻したり放置したりして死なせる親の存在が報道されました。マイノリティを攻撃する人々もたくさんいました。ヨーロッパでもテロ事件が起こり、アメリカでは銃乱射事件があり、ミャンマーでは少数民族ロヒンギャ族への虐殺があったりするなど、目を背けたくなるむごく悲しい出来事が世界中でたくさん起こっています。人間の悪魔的な側面が多く報道されました。でも、先程紹介した話のように、命がけで他人を救うために働いた人々もたくさんいるのです。虐げられた人権救済のために活躍する幾多のNPO法人があります。身近なところでは、線路から落ちた人を救おうと助けに入って命を落とした人、踏切でも同様なことがありましたね。全校朝礼などの機会に折を見て紹介していきたいと思いますが、心温まるいい話はそれこそ山ほどあります。人間、捨てたものではないのです。

このような人間の温かく気高い側面と悪魔的な行動の違いはどこからくるのでしょうか?人間の行動には色々な要因・背景がありますから、単純な図式化はできませんが、あなた方に考えてもらうための一つの視点を提示してみようと思います。

1999年に医療・人道援助をおこなってノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」という民間NGO組織があります。私の家には「国境なき医師団日本」から「REACT」というタイトルのニュースレターが送られてきます。私は、昨年送られてきた「REACT」の6月号の表紙の写真にその答えとなるヒントがあると思いました。

その写真とは、地中海で小さなボートに乗って漂流していた難民を見つけた救助隊が彼らを救助している写真です。二人の男性が、救助用の大きなボートと難民の乗っている小さなボートとの間に架けられたブリッジを使って大きなボートに幼い子どもを抱いて移そうとしている場面です。真剣な表情で救助をおこなっている職員のほかに、小さなボートに乗っている多くの難民の人たちが後ろ姿で写っていて、とくに小さなボートに乗っている人のうち二人は横顔が写っていてその二人の男女は「助かった!!」という安堵からか本当にうれしそうな表情をして白い歯を見せて笑っていました。そのこぼれるような白い歯と笑顔がとても印象的な写真でした。

私はこの写真に強く引き付けられました。写真を見るととてもうれしい気持ちになるのです。何がそのような気持ちにさせるのだろう?どこに引きつけられるのだろうか?写真を見ながら考えました。そして、そのうちにこの写真の持つ訴える力の強さがどこからくるのか気がつきました。

写真を撮っている位置、つまりカメラマンの視点がポイントだったのです。この写真は、救助する側の大きなボートから撮った写真ではなく、難民の乗っている小さなボートから撮った写真でした。難民の側から撮られた写真なので、難民の気持ちがより強く伝わるのです。助けられたのは他人ではなく自分であるという、難民と自分が一体化した気持ちになるのです。助けられたのはほかでもない自分なのだ、あの眩しい笑顔は自分の気持ちを表わしているのだ、ということです。大きなボートから撮った場合、それはそれで一枚の報道写真として通用すると思いますが、難民の人たちの喜びの大きさは伝えきれなかったのではないでしょうか。難民という弱者の立場に立ってものを捉えることができたとき、私たちが何をすべきかがおのずと見えてくると思います。

旧約聖書の創世記第1章の最後には、「神はご自分がお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。」とあります。人間はもともと極めて良いものとして造られているのです。弱者のために行動したとき、私たちは捨てたものではない人間になるのです。そして、逆にこの視点を忘れた人間が弱者を攻撃するのです。

年の始めにあたり、賢明女子学院設立の源であるマリー・リヴィエが願ったイエス・キリストの生き方に倣う生き方について思いを馳せてみてください。燈台の光となる人間のことです。この1年があなた方にとってそのような人間になる一歩となるよう願っています。

2018年1月9日

 

 

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