賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2023/05/08

神様はどこにでも

皆さん連休はどのように過ごしましたか、心に残る出来事はありましたか。上級生の中には連休中もクラブの試合のため登校した人もいたでしょう、よく頑張りましたね。

私はゆっくり過ごしました。のんびりした気持ちで、野辺や庭に咲き匂う花々の美しさに見惚れていたら「金子みすゞ」の詩が浮かんできました。

私は金子みすゞの詩が好きです。彼女は大正時代の終わりに生まれて、昭和の始めまで活躍した童謡詩人です。彼女の人生は決して恵まれたものではありませんでしたが、苦しい生活にも負けず、常に注意深く自然を見つめ、小さな虫や花々に自らの心を重ねて、誰にでも解るシンプルな言葉で詩を綴りました。残念なことに僅か26年で人生を閉じましたが、その短い人生の内に、5百篇ほどの詩を残しました。心に深く届く魂の詩(うた)を書き残したのです。その中に、「はちと神さま」という詩があります。ローマ法王がこの詩を読んで涙を流されたそうです。

 

蜂はお花のなかに

お花はお庭のなかに

お庭は土塀のなかに

土塀は町のなかに

町は日本のなかに

日本は世界のなかに

世界は神さまのなかに

そうして、そうして神様は

ちいちゃな蜂の中に。

 

花の優しさに包まれてひたすらに蜜を吸う一匹の小さな、小さな蜂の命が、花に包まれて庭に繋がり、町に、日本にそして世界に繋がっていると詠い、「世界は神様の中に、神さまはちいちゃな蜂の中に」と締めくくります。どんな小さな命も世界中の総てのものと一つに繋がり、神様の大いなる懐に抱かれていると詠っているのです。

蜂はただ無心に花から花へと飛び交う内に、花々は受粉して多くの果実を結びます。果実は地面に落ちて芽吹き、また花を咲かせます。無心に生きる、ただ一匹の蜂のいのちが、自然界の生命(いのち)の循環の一端を担っているのです。でも、蜂はただ、無心に花の蜜を集めるだけ、自分が大切な役割を果たしているなどとは思ってもいません。

自然界には一つの法則があります。地球を構成する総てのもの、蜂のような小さな昆虫や、動物や植物、土や水や空気、それら全ての命が互いに結び合い、命が巡るという、永遠の法則です。

自然界の総ての命が一つに繋がっている訳ですが、一つだけ、自然と繋がっていないものがあります。地球を構成するものは、土、水、地、火、空気、動物や植物…昆虫も……そして…何かが抜けていますね。何が抜けているか気づきましたか。そう、人間が抜けています。

無心に花々を飛び交う蜂は、自然の法則に叶い、自然と調和して生きています。動物や、植物も自然と調和して、自然破壊など一切しません。さて、私たち人間の行いはどうでしょう。自然と調和しているでしょうか。

賢明でも取り組んでいるSÐGsは持続可能な未来を目指す、国連発信の世界的な取り組みの一環です。私たち人間が自分勝手なことをすると自然は壊れてしまいます。温暖化や大気汚染がこれ以上進むと、地球に人間が住めなくなってしまうと科学的に証明されているのです。自然破壊は急速に進んでいます。地球の気温が上昇して、南極の氷が解け出し、海に沈んでしまう島もあるのですよ。テレビの映像で見たことはありませんか。そこに住む人々は本当に大変ですね。このままでは地球に住めなくなってしまう。これは大変、何とかして自然破壊を食い止めなければと、国連で世界中の国が話し合って決めた、自然を守り、自然を回復する為の約束が、SⅮGsです。私たち賢明もこの取り組みを積極的に進めています。一日も早く自然破壊を食い止めるために、私たちができること実践、実行しましょう。

一匹の蜂が世界と繋がり、世界を見守ってくださる神様に繋がると金子みすゞは言います。私たちは総てのものを包み込む宇宙のように偉大な存在を神と崇め、祈っているのです。

さてここで質問です。みなさんは蜂や動物たちが神様に祈っている姿を観たことがありますか。キリスト教では神様に、仏教では仏様に祈りますが、自然界の動物や植物はそのようなことは一切しませんね。それは一体なぜでしょう、私たち人間には神様が必要だからです………。

金子みすずが「世界は神様の中に」と詠ったのは、神様は世界よりも広く大きな存在と感じていたからでしょう。

宇宙に地球が浮いていて、その地球に、水があり、風が吹き、緑の山々が連なる。美しく尊い自然の懐に抱かれて、私たち人間は生かされています。朝起きて、ご飯を食べて、学校で授業を受け、友達と楽しく過ごす。このような毎日の生活はごく当たり前のように思っていますが、考えて見ればとても不思議なことです。そして今を生き、喜んだり悲しんだりできることはとても幸せなことなのです。大地震や津波で家を失い、今迄の幸せな生活が一瞬に消えてしまった人達もいます。幸せな私たちの日常も、明日のことは約束されていません。

さて私たちが神様に祈る理由を、今一度考えてみましょう。

自然界の動植物はただ無心に与えられた命を生きるだけで、自然と調和している訳ですが、自然界と離れて、自分本位、人間中心に行動する私たち人間は、自分達の利益のために自然を無視して、ついつい勝手なことをしてしまいます。そうすると、他の動物や植物に迷惑をかけたり、自然を破壊したりすることになり、結局、しっぺ返しが来て、わたしたち人間が地球に住めなくなってしまうのです。そうなっては大変なので、自分の行いは間違っていないか、勝手なことをしていないかと、自分を見つめる為に神様に祈るのです。

神様、仏様は大いなる自然、大宇宙そのものと同じです。神様に祈ることによって小さく閉じた自分の心に気づき、柔らかく、優しい心に返って、社会に役立つ行いができる人、そう、「灯台の光のような人」になれるのです。

祈りは優しく豊かな、人間らしい心に戻る為に人間が見つけた最善の行いです。このように考えると、お祈りと日々の生活が結びついて、何だか楽しくなってきますね。

神を自然界、宇宙の姿と重ねて考えると、神様は何処にでもいらっしゃるので、あなたが気づきさえすれば、何時でも神さまに出会うことができるのですよ。さあ、形だけの祈りではなく自分の心を見つめ、本当の自分になれるよう、今日も祈りましょう。

 

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