賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2024/04/22

自分を客観的に見つめよう

おはようございます。

皆さんを取り巻いている現代社会は、国内外を問わず、地球的に様々な問題を抱え、大きな変革の時を迎えています。テレビのニュースや新聞で伝えられるように、環境問題、情報化社会の様々な弊害、少子高齢化問題など、解決しなければならない問題が山積みです。

これからの社会は皆さんが担うわけですから、それらの問題をしっかり受け止め、だれもが安心して暮らせる社会を築くための力を身に着けねばなりません。物事を客観的にとらえ、問題を解決する知的な力、人と親しく交わり、互いに学び合う協調の力など、「人間力」を身に着け、様々な問題に対処できる柔軟な心を養うために、客観的に自分を見つめ、自分自身の特性を理解することが必要となります。そこで今日は「離見の見」について話そうと思います。離見の離は、はなれる、見は、みると書きます。皆さんは初めて聴く言葉でしょうが、日本の伝統芸能、能の本質を表わす重要な言葉です。

皆さんは世阿弥という人物を知っていますか。室町時代初期の猿楽師です。能のことを江戸時代までは、猿楽と呼んでおり、明治以後、狂言と合わせて能楽といわれるようになりました。世阿弥は室町将軍、足利義満に寵愛され、観世流の能を大成した人物。「離見の見」は世阿弥が提唱した概念で、能楽論書「花鏡」(はなかがみ)(かきょう)という本に書かれている、歴史的に有名な言葉です。

「花鏡」は芸術論として世界に類を見ないほど傑出した書物です。このような素晴らしい本が、今から600年以上も前に書かれたのです。日本の伝統文化の奥深さ、能という舞台芸術の次元の高さに改めて驚きます。この本には「離見の見」を始め、舞台上の自分を観客の眼線で捉えるという、悟りに通じる境地が綴られています。

世阿弥は、舞台上の自分の姿を、前後左右から、よく見なければならないと述べています。それは、自分を離れた観客の眼で自分を感じ取るという事です。その感覚を「離見の見」と言うのです。演じる人はあらゆる方角からの視点を感じ取り、自分の演技を客観的に捉えて、自己中心の説明的な表現を離れるように努めます。

自分を離れ、観客の目を通して自分を見る境地に到れば、舞台上の自分の姿を、観客がどのように受け取っているかを肌で感じ、観客の目線に自分の心と体の動きを合わせて演技を進めることができるのです。

このことを私たちの日常生活に活かせば、自分自身を客観的に見つめて自己認識を高め、自己改善につながる深い洞察力を身に付けると、自分だけでなく、周りの人々や、環境をそのままに感じ取り、無駄なく効率的なコミュニケーションを実現することができるようになります。

また、世阿弥は「目前心後」(もくぜんしんご・目は前、心は後ろ)という言葉も用いています。これは、眼は前を向いていても、心は後ろにおいておきなさい」という意味であり、前からだけではなく、後ろから自分の行動を見ることの大切さを言っているのです。

自分の行動を客観的に見るための第一歩は、人の意見を聞き、一つの物事に対して、あらゆる角度から考えることができる感覚を見つけることから始まります。いろいろな人の考え方や価値観を知り、相手の心と自分の心を一つにすることが大切です。相手の心と自分の心が繋がれば、Aさんならこう考える、Bさんならこう考えると、物事を柔軟に捉えることができるようになります。それが習慣になれば、人も、物事も客観的にみることが出来、様々な「気づき」が生まれます。

これから、皆さんが社会に出て、いろいろな問題を解決していくには、他者の心を感じ取ることのできる、前後左右の幅広い観点と、柔軟な思考が必要です。自分を客観的に見つめることで自分の心の動きが観え、他者への理解や共感が深まります。自分自身を知ることで他者を知り、社会に役立つ行動に結びついて、より良い社会の一員となるための第一歩を踏み出すことができるのです。

「離見の見」は人だけでなく全てのことに置き換えることができます。例えば、あなたが姫路城を本当に美しいと深く心に感じたなら、道端に咲く小さな花に心を奪われて語りかけたなら、もう心が通じ合っているのです。それはお城やお花の目線で客観的に自分を見ること、それもまた「離見の見」なのです。

それでは、今週も爽やかに頑張りましょう

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