賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2024/05/13

母マリア

おはようございます。

青葉の美しい季節になりました。

カトリック教会では、5月はマリア様に捧げられた月としています。15日には「聖母をたたえる集い」が行われますが、創立者マリー・リヴィエも聖母マリアに対する崇敬の思いが強く、エネルギーの土台となっています。私たちもマリア様を通して、より高く、より強く、成長できるようにお祈りしたいと思います。

マリア様に関するお話をしようと、思い巡らせていたらサレジオ会の田中次男神父様が、マリア様のことについて話をされたことを思い出しました。

ある学校内の階段で、一人の男子学生が神父様のところに小走りで寄ってきて、「先生、先生、今度の英語の試験すごく良かったよ」と言ったそうです。しかしその男子学生は、ズボンがゆるゆるでしたので、すぐさま神父様は、「試験はともかく、まずズボンを何とかしなさい」と言われたそうです。

でも彼は、「そんなことより、先生、今度の試験で102点取ったんだよ」と言ったのです。

神父様は「102点か、だったら1000点満点の102点だったの?」と返すと、男子学生は「先生、もういい!」と言って階段を上がってしまいました。あとに残された神父様は、後悔の気持ちにかられました。神父様は、彼の102点取った喜びを充分に共有せず、制服のズボンをきちんとしてくれることを優先したからです。自分の言葉を伝えることだけをお考えにいたので、その生徒の気持ちも汲み取ることも出来ず、結局のところ、学生に話を聞いてももらえなかったのだと、神父様は反省されたそうです。

落語家は、最初に「言う」と「話す」の違いを教わるそうです。つまり、「言う」には相手がなくて、「話す」には相手がいるのです。「言う」は、そこに言う自分がいるだけで「言いっぱなし」のこと。それに対して「話す」は相手の存在を認め、その気持ちを大切にして「話しかける」こと、耳を傾ける心を含んでいるのです。

神父様はマリア様のことを、次のように考えられています。イエスさまに「言葉」を教えられたのは、当然、母であるマリア様です。マリア様がイエス様に言葉を教えられた時、言葉を使って「言う」のではなく「話す」ことを教えられたのではないかと思われています。そして教える以上は、マリア様ご自身が「言うのではなく、話すこと」をつね日頃からされていたのでしょう。

聖書のなかに、「カナの婚礼」という箇所がありますが、マリア様は婚礼の宴会の真っ最中に、給仕たちに向かって「なんでもこの人の言うとおりにしてください」とイエス様を紹介されました。この言葉は、マリア様が人々に語られた聖書のなかで、唯一の言葉です。マリア様は、相手の心に語りかける「話す」心を持っておられたから、このように語られたのだと、神父様は仰っています。

創立者マリー・リヴィエも、マリア様に絶えず祈っておられました。きっとマリア様と心で対話なさっておられたのでしょう。

私は、あなた方にマリア様のような素敵な心の人になって欲しいと願っています。ではマリア様のような人っていったいどんな人でしょう。それは懐疑心を持たない、素直で澄みきった心の人のことです。他の人の話に心を傾けることの出来る人です。

マリア様は全ての人を受け入れる優しい心を持っておられます。ですから、あなたの心が澄み切っていれば、あなたの祈りはマリア様に届きます。祈りがマリア様に届けば、マリア様を通じて、多くの人の心に安らぎが生まれるでしょう。

祈ることができる人とは、願うことが出来る人です。心を澄ませて「世界が平和でありますように」と祈りましょう。

全ての人の安らぎと、世界の平和を願い、今日も爽やかな心で過ごして下さい。

 

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