賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2024/06/17

葉っぱのフレディー

おはようございます。

先週、私は、芦屋にある甲南中学高等学校に行く用事があったので、早朝、JR姫路駅に行きました。切符を買って、ホームの階段を駆け上がると「お急ぎのところお客様には大変ご迷惑をおかけします。京都線での信号トラブルのため、只今、かなり遅れての運行となっております。」というアナウンスが流れました。

困ったな、会議の時間に間に合うかしらと思いながら、しばらく出勤や登校の人達でごったがえすホームに立っていたのですが、とりあえず、遅れて到着した新快速に乗り込みました。結局、その会議には大幅に遅れてしまいました。

普段、私は車通勤なので、通勤時間の満員電車に乗った経験が殆どなく、大変でした。押されて身動きの取れぬ状態で立っていたのですが、突然人が倒れて非常ベルが鳴り、「十号車で病人が出たので、加古川で停車します」とアナウンスが流れました。私はたまたま、その十号車に乗っていたのですが、直ぐ後ろに居た二人の若い男性の一人が「えっ、また遅れるやん」と落胆したような声で言うのが聴こえました。それを聴いて何だか悲しくなり、思いが込み上げて来ました。「今、たくさんの『命』がこの電車に乗っている、何か事故があれば大惨事が起こるかもしれない。私達は常に危険と隣り合わせで生活しているのだ」と、「命」の大切さ、生きていることのありがたさなど、心の中をぐるぐる思いが巡っていました。その時、ある哲学者の話を思いだしたのです。

皆さんはアメリカの哲学者、レオ・バスカーリアの書いた『葉っぱのフレディー』という絵本を読んだことがありますか?

大きな木の太い枝に生まれた葉っぱのフレディー。春に生まれたフレディーは、数えきれないほどの仲間の葉っぱに取り囲まれていました。はじめは、どの葉っぱも自分と同じ形をしていると思っていたのですが、やがて、一つ一つの葉っぱが全部違っていて、一つとしてとして同じ葉っぱはないことに気が付きます。

フレディーは、親友の葉っぱ、ダニエルからいろいろなことを教わります。自分たちが一本の大きな木に生まれた一枚の、緑の葉っぱだということ、巡りめぐる季節のことなど。初めて聴く話に感動し、納得してフレディーは夏の間、気持ちよく、楽しく過ごしました。遅くまで遊んだり、人間のために涼しい木陰を作ったりもしました。

やがて、秋になり、緑色の葉っぱは一斉に紅葉します。皆、それぞれ違う色に色づくのです。そして冬がやってきました。とうとう葉っぱが死ぬときがきたのです。その時、親友ダニエルはフレディーに『命』について話しました。

「変化しないものは一つもないんだよ・・・変化するって、自然のことなんだ。」

フレディーはこの言葉を聞いて、この世界に生まれ、「今」を生きることの意味を理解することができました。そして、自分の命をつくった木の全体の姿が観え、自分と他の葉っぱが一本の大きな樹の命と繋がっていることを理解し、「永遠の命」を感じ取ることができたのです。

私達は地球という美しい星に生まれました。私たちひとり一人が、かけがえのない個性と人格を持って、地球社会を構成し、それぞれが何らかの使命や役割を果たすべく存在しているのです。私たちも葉っぱのフレディーのように、それぞれが違う色に紅葉します。自分が「どのような葉っぱなのか」を知ることが大切なのです。本当の自分に気づくことはなかなか困難なことです。それを教えてくれるのが、自分を取り巻く世界の様々な人や物との出会いです。向かい合う人やものに自分が映ります。人の心や事象に映る自分を視ることによって、本当の自分の姿が観えて来るのです。

日々の体験には、何一つ同じものはありません、皆さんも、今の自分を出発点として、一つ一つの出会いを大切に受け止め、本来の自分の姿を知って、本当に自分らしい『命』を輝かせて下さい。今日は今日しかなく、今はもう帰ってきません。かけがえなき今を精一杯に生きて、充実の日々を過ごしましょう。

 

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