賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2024/11/25

自由な心

おはようございます。

もう何年も前、放課後に漢字検定のテスト監督をしていた時のことです。

退出して良い時間が来て、一人の生徒が、答案用紙を裏向けて机の上に置き、席を立って教室を退出しようとしました。しかし、何かを忘れたかのように、直ぐに戻って来て、先ほどまで座っていた机の上の消しゴムのカスを自分の手のひらの中に集め始めました。そして、制服のポケットからティッシュペーパーを出してカスを包み、教卓に座っていた私に目礼して出ていったのです。私は清々しい気持ちになり、嬉しかったその時の気持ちを今でもはっきり覚えています。彼女は引き返して机の上を綺麗にして立ち去ったわけですが、試験で余裕のない時にも関わらず、机の上の状態を思い出して掃除をすることができたのは、日頃から自分を客観的に見つめることのできる人だったからでしょう。「消しゴムのカスを綺麗にして退席しなさい」と誰かに言われたわけではなく、自由意志で机の上を綺麗にしたことに意味があります。

「自由」という言葉をウィキペディアで調べると、「自由とは、他からの強制、拘束、支配、などを受けないで、自らの意志や本性に従っていることをいう。自由な行動により生じた結果は、本人が引き受けるべき、という社会通念があり、自由と責任は併せて語られることが多い。」と書いてあります。さて、「自由と責任は併せて語られることが多い」ということについて考えて見ましょう。

日本における女性ジャーナリストの先駆けで、婦人之友社の創立者でもあった、羽仁もと子さんが、ある学校で生徒達に「あなたたちには、はきものを揃える自由があります」と話された、という話を何かの本で読んだことがあります。脱いだ靴を脱ぎっぱなしにするのも、使った椅子をそのままにして席を離れるのも、自由といえば自由です。現代では人にはそれぞれの考え方があり、法律に触れなければ何をやっても自由なんだといった無秩序な考え方さえありますが、礼節を弁え、心を尽くすことが当然のこととする従来の社会常識からすれば、靴を揃えることも、椅子を整えることも当然のことです。最初に話した生徒が消しゴムのカスを片付けずに退席したとしても誰も咎めなかったでしょう。しかし、彼女は自分の汚した机を元通り綺麗に整え、そして丁寧に挨拶をして立ち去ったのです。自由であり、平等であることは、かけがえなきことですが、だからといって思うままに振舞えば、社会は秩序を失って、逆に不平等が生まれます。

社会構造に上下の隔たりのない自由平等の世界だからこそ、それぞれの人が周囲の状況をよく弁え、皆が心地よく楽しく暮らせるよう、囚われなく自由な心で正しい判断をすることが大切なのです。しかし、自分勝手な世界に陥り、自分のことも周りのことも、よく観えていない状況は、心の自由を失った状態といえます。

さて、あなたは物事を正しく判断する自由な心を持ち合わせていますか。貴方がどの様な選択をするかは自由です。しかし、様々なことに囚われると、あなたの心は知らずの内に自由を失って、正しい判断をできなくなっているのです。自分を見つめ、自分と周囲の関係をよく感じ取って、心の囚われを放ち、自由な心で正しい判断ができるよう、賢明での生活に精進しましょう。

周囲をよく感じることができれば自分のことがよく見えるになります。自分が観え、周囲がよく把握できると心は自由、正しい判断ができて学力も向上し、人間力も向上します。物事を正しく判断できる自由な心を育めば、社会に出ても正しい判断ができ、社会に貢献できるのです。

今朝は、自由な心について話しました。

期末テストが近づいてきました。テストでも自由な心で正しい判断ができますように。

 

入試説明会 イベント情報

光あれ 日々の所感 校長ブログ

The Best

Be Leaders

採用情報

寄付のお願い