賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2025/02/17

まぁるく生きる

皆さんは茶道のことを知っていますか。茶道は千利休が確立した、日本が世界に誇る伝統文化で、詫び寂びといった日本独自の心の世界を持っています。苔のむした神社やお寺の古い建物、石段や石垣等、人間が造ったものが、長い時間の間に自然と一体になって、静かな趣をたたえる。そのような場に深く心が感じる私達、日本人の心を侘び寂びという言葉で表したのです。茶道のお道具は大切に受け継がれ、利休の時代から、400年以上たった今も大切に受け継がれています。お茶碗などの陶磁器は壊れても、漆と金で修理をして使用します。何百年も使用した茶道具に、古い社寺や石段、土壁と同じように、静けさと美しさを感じる世界、人のこころと場所や造形が時間と空間を超えて自然と一体を成す世界、茶人達はその空気感を詫び寂びという言葉に著したのです。

皆さんの中で、茶道について、次のような文章を書いた人がいます。

題名は『まぁるく生きる」です。

 

『茶道の中には「まるい」が多い。お茶碗、お棗、蓋置。お点前の動きにもカクカクとしたものは少ない。なめらかで、繊細な所作ばかりだ。それではなぜ、茶道の所作には「まぁるい」が多いのだろうか。

茶道の基本精神が「和敬清寂」であるように、茶道はお茶席に来られている人とのつながりや調和を大切にしている。お点前をする人、後見をする人、お水屋にいる人、お運びをする人、そしてお客様の全員で一つのお茶席を作り上げることが重要だ。どれか一つ要素が欠けてしまっては成り立たない。そのようなことから、私は茶道とは、自分自身の中で自分と対話するものでありつつ、人との関わりを大切にするものであると感じた。したがって、カクカクとした動きはその意図に合うものではない。誰かをもてなしたい、善いお茶席にしたい、自分自身を磨きたいという思いがなめらかで緩やかな所作に表われていると感じる。

確かに(学校で)お稽古しているとき、茶筅でお茶を点てているときに限らず、お棗を清めているとき、お茶碗を茶巾で拭くとき、一つひとつの動作を通して心も穏やかになっている気がする。「茶道とは何か」を考えたことはほとんどない。だが、茶道をはじめてから確実に何かが変わった。そのうちの一つは、人と、「まぁるく」かかわろうと思うようになったことだ。もともと自分は気に入らないと、すぐにきゃんきゃん吠えるような人だった。要するに角が立っている性格だ。しかし、茶道のお稽古をするうちにゆっくり落ち着いて、滑らかな所作で動くことや、誰かを思ってお茶を点てる事を学んだ。私にとって茶道は角ばった心をやさしく包み込んでくれるものだ。「茶道とは」という神髄にはまだたどり着いていない。だが、私なりの茶道を見つけてたいと思った。』

 

どのようなことも、求めれば奥深く、目指すべきものは遠く、到るべき道のりは決して容易なものではありません。いろいろな関わりの中で、相手の立場や気持ちを尊重して「和」を大切にする生活の姿勢を身に付けたいものです。カクカクとした動きではなく、緩やかで滑らかな所作を心掛ける事で人との関係もより円滑になるでしょう。

今年度最後の全校朝礼において、この「まぁるく生きる」というものの捉え方を皆さんにも伝えたいと思って、この文章を取り上げました。茶道を通じて学んだ「まぁるく生きる」心が、みんなの心に響き、周囲の人の心を幸せにすることを願っています。

 

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