賢明女子学院中学校・高等学校

光あれ 日々の所感 校長 松浦明生光あれ 日々の所感 校長 松浦明生

2025/06/23

平和

 抜ける空、真っ青な海、緑滴るヤンバルの森、沖縄の自然は限りなく美しい。修学旅行で沖縄に行った人たちは沖縄の美しさが解りますね。行ったことの無い人も想像がつくでしょう。修学旅行が楽しみですね。

今日、6月23日は「沖縄戦慰霊の日」です。皆さんも知っている通り、太平洋戦争末期の1945年終戦の年、日本軍と、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍との間で熾烈な戦いが繰り広げられました。沖縄戦では日本軍と連合国軍、民間人を合わせて20万人以上が命を失いました。一般の方の犠牲者はおよそ10万人と言われています。沖縄県民の4人に1人が命を落としたことになります。

毎年6月23日に平和祈念公園で行われる戦没者追悼式で「平和の詩」が読み上げられます。私はその詩を読み上げ、皆さんと共に祈りを捧げることにしています。今年は、豊見城市伊良波(とみぐすくしりつ いらは)小学校6年 城間 一歩輝(しろま いぶき)君の詩「おばあちゃんの歌」が選ばれ、新聞にも掲載されます。

皆さんも詩の内容をよく味わい、私たちは平和のために何ができるのかを考えましょう。80年前に起こった忌まわしい沖縄戦の事実を顧み、深く考え、伝えていくことが世界平和に繋がると思います。

 

「おばあちゃんの歌」

豊見城市伊良波小学校6年 城間 一歩輝(いぶき)

 

毎年、ぼくと弟は慰霊の日に

おばあちゃんの家に行って

仏壇に手を合わせウートートーをする (仏を拝むこと)

一年に一度だけ

おばあちゃんが歌う

「空しゅう警報聞こえてきたら

今はぼくたち小さいから

大人の言うことよく聞いて

あわてないで さわがないで 落ち着いて

入って いましょう防空壕」

 

五歳の時に習ったのに

八十年後の今でも覚えている

笑顔で歌っているから

楽しい歌だと思っていた

ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない

ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに

一年に一度だけ

おばあちゃんが歌う

「うんじゅん わんにん

艦砲ぬ くぇーぬくさー」

泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた

歌った後に

「あの戦の時に死んでおけば良かった」

と言うからぼくも泣きたくなった

沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを

「艦砲射撃(かんぽうしゃげき)の食べ残し」

と言うことを知って悲しくなった

おばあちゃんの家族は

戦争が終わっていることも知らず

防空壕に隠れていた

戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが

戦車でひき殺されると思い出て行かなかった

手榴弾を壕の中に投げられ

おばあちゃんは左の太ももに大けがをした

うじがわいて何度も皮がはがれるから

アメリカ軍の病院で

けがをしていない右の太ももの皮をはいで

皮ふ移植をして何とか助かった

でも、大きな傷あとが残った

傷のことを誰にも言えず

先生に叱られても

傷が見える体育着に着替えることが出来ず

学生時代は苦しんでいた

五歳のおばあちゃんが防空壕での歌を歌い

「艦砲射撃の食べ残し」と言われても

生きてくれて本当に良かったと思った

おばあちゃんに

生きていてくれて本当にありがとうと伝えると

両手でぼくのほっぺをさわって

「生き延のびたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」

生き延びたから 命がつながったんだね

とおばあちゃんが言った

八十年前の戦争で

おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った

その傷は何十年経っても消えない

人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように

おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく

おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして

一生懸命に生きていく

(琉球新報より)

 

 

 

かけがえなきこの一日を活きることのできる幸せに感謝し、心を尽くして、毎日を大切に過ごしましょう。

 

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